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エッセイ “弘法さんと私" M 清子 

 

500年の歴史を持つ京都東寺の市は、昔から京都の人たちに“弘法さん”“お大師さん”と親しまれて来ました。その起源は、弘法大師の命日―毎月21日にお参りにやって来る善男善女に、門前で湯茶が振舞われたのが始まりと言われています。

 弘法さんの市は日の出日没です。早朝薄暗い中でお店は次々に今日の荷を開いて思い思いに開店していきます。そこには、過去の暮らしのさまざまな場面に登場したあらゆる物が、あるものはよく使い込まれ埃をかぶり又あるものは大変丁寧に保管されて、その姿を今に表します。現代の暮らしに充分生かして使える物から、どうしようも無く崩れ去る一歩手前と言う物まで、骨董品を始め実に雑多な物が無造作に混在して溢れています。

まだ日も昇らぬ時間に懐中電灯を持った人たちが広い境内を足早に歩き回ります。一つ一つ並べられていく品物の中に探し求めている物、珍しい貴重な物、たまたま気に入った物に出会える瞬間は本当に偶然に近い世界です。一足違いで他の人の物になってしまう事も多々あります。あー残念!!。でも、又気を取り直して今朝は何に出会えるか、わくわくする楽しさで夢の世界に迷い込んで居るように歩き回りお気に入りを探します。

 

 歩いて歩いて疲れたなあーと気が付く頃には日が昇り、境内の樹齢数百年の樹々の向こうに堂々とした五重の塔の美しい姿が浮かび上がります。

 

限りなく心魅かれたのは、幕末から昭和初期(およそ1850年~1930年)の名も無い職人たちの手による品々でした。

当時は自然界の豊かな資源―素材に恵まれていました。そして職人たちはその道一筋に伝統を受け継ぎ、より良い物を作り出す事だけを考え心を込めて持てる技を遺憾なく発揮し手間暇を惜しまず物作りに打ち込みました

 優れた職人の仕事は、多くの優れた職人集団に支えられていました。職人仕事は段取り八分と言われています。多種多様な分野の職人が網目のように存在していたのでしょう。

 

蒔絵の筆を例にとれば、熟練した筆の穂先が細い線を、はね、たわみ、筆自身が生き物のよう蒔絵を描いていきます。この極細の線を描く筆は“舟鼠”の毛で作った根朱筆が使われていました。その昔、米を運ぶ木造船に住みついていた鼠は、藁、米の中で背中の一番長い水毛と言われる透明な毛の毛先が磨り減ることなく自然なままでした。この毛で作った筆は漆の粘りに負けない強さと弾力を備えていました。蒔絵職人はさまざまな種類の筆作りに専念する優れた蒔絵筆師に支えられていました。

 京都市下京区塗師屋町の村田九郎兵衛家-平安の昔から蒔絵師の間だけでひそかに生き続けて来たと云われる“村九の筆”が京町家のひっそりとした格子戸に「御蒔絵筆師」と彫られた古い竹の表札を2005年の今も掲げています。

 こうした職人たちが生み出した品々を目にする時ささやかな物でも伝統が生きづき洗練されており、美しく暖かく優しく、時代を生き抜いてきた力を持っています。時を越えて私の中に飛び込んで来ました。

 江戸、明治、大正、昭和初期に伝統工芸はその頂点を極めたのではないでしょうか。

 

私は子供たちを育て終え20年余、楽しく興味深く通い続けています。毎月21日は朝暗いうちに家を出ます。こうして蒐めた品々はささやかな物で焦点も絞れていません。まさに“弘法さんと私”の世界です。

  

 *二十余年通いつめたり弘法さん 夢の中なる無に近い時

 *蒐めたるささやかな物小さき物 時空を超えて交信成立

    

 近年、骨董祭が各地で頻繁に開かれるようになり、又インターネットではオークションが盛況です。骨董店の重いドアーを開けるか弘法さんでしか出会う機会の無かった古い物の世界も大きく様変わりしました。時代の波はこの世界にも及んでいます。(2005.8.11記)

 

(参考・リンク) 田中 田さんの「田中 田 den-tanaka.com」の「弘法さん 東寺・京都市」 「 写真紀行弘法さん1

弘法さん2」 「松花堂庭園京都府八幡市」 「松花堂庭園をご覧下さい。

 

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 © KIYOKO M..2000:2009年4月27日 更新