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昭和二年の「東京玩具商報」 入手!!

 昭和初期の市松人形を蒐めている私は、昭和初期アメリカへ渡った答禮人形の作者がどんな人だったのか、とても知りたかったが資料と呼べる物に出会えなかった。

 

 1990年(平成二年)に読売新聞社から発行された、The あんてぃーく VOL.8 特集「人形と飾り箱」に、“人形史に影をおとした「青い目の人形」”と題した是沢博昭氏の一文の中の“「東京玩具商報」は、その製作者に十二名の「号」をあげている、半分以上は作者名を特定出来ない。”と言う記述が目に留まった。

 

 当時の「東京玩具商報」は果たしてどこにあるか?入手は可能か?、、、、。

 

 これには、図書館で資料情報収集の専門家であった夫が大いに力になってくれ、東京玩具人形問屋協同組合が「東京玩具商報」をトイジャーナルと改名して1995年現在も発行していることが判明した。上京の折、直接訪問しコピーを取らせて頂いたものが下記である。貴重な資料である。

 

 又、是沢氏はこの文中、東京製の五十一体は東京の人形師の百に余る作品の中から文部省普通学務局長、百貨店協会員によって選ばれた。(都新聞、昭和二年八月二十四日)と述べている。かの平田郷陽が最優秀の栄を得た事は周知の事である。そして光龍斎が二位だった。(これは東京の人形店「ほうずきや」さんを1991年に初めて訪ねた時に店主浅原革世さんに伺った。)

 この人形選定については、コンクール形式がとられたとする記述が一般的だが、是沢氏の記述は信憑性が高いと私は思う。

 

又 答禮人形の製作者について、

”青い目をしたお人形たち” 太平出版で著者武田英子は、人形制作者について記録もなく、伝聞をたどって調べたとして次の名前をあげている。平田郷陽 平田陽光 滝沢豊太郎 岩村茂三郎 樫村徳三郎 樫村豊太郎 関口康二

福沢大観 野口明豊 岩田仁助 岩田七五三 宮沢次郎 木村勝陽 鶴岡亀吉。大木人形舗。

 これは是で「号」と結びつかない難しさがある。

 

「東京玩具商報」を読み私の感じた事。

 

1 全体の経緯に付いては事細かにくどい程述べているのに、これだけの大事業を実質的に可能にした人形師たちについては、その「号」を簡単に並べるだけに終わっている。 又その送別会でも製作者には末席しか与えられていない。当時の人形職人の社会的地位の低さが哀しい。

2 答禮人形が各府県道及び六大都市代表と全日本の代表人形で構成された五十八体だと曖昧な認識をしていたが、この「東京玩具商報」の記述により、当時の植民地(樺太 朝鮮 台湾 関東州)の代表人形の四体が極く当たり前に加えられていた。植民地とは遠い過去の事実だと思っていた私の認識の不確かさを恥じた。2005年、地球上から植民地と言う存在はその姿を消した。しかし、それに変わる複雑で困難な国際情勢がある事も記しておきたい。    

 村上清子 2005.8

 

 

「東京玩具商報」  第二百八十七号   昭和二年九月二十日 

 

        遺米使節たるお人形の竣工

 

 世界の平和は子供からとの意味で、昨年の暮、米国からわが国の小国民達に、多数の立派な人形が贈られたが、今度澁澤子爵の主宰する日本国際児童親善会の企てで、我が全国の小学生徒よりの答禮として、各府県から一本づつの日本人形を贈ることとなり、先頃文部省の肝煎で東京雛人形卸商工組合が、その御用を承はることとなり、組合幹部はこの意義ある調達に、肝胆を砕いて名匠を選択し製作せしめつつありしが、比程漸く竣成し、去る十七日千代田館階上に陳列して其授与を了した。それは二尺七寸の純日本式人形五十一本で、特に名工の丹念を凝らした麗顔玉の如き容貌に、衣装は色とりどりの友禅縫模様の三枚褪に、錦糸爛たる帯姿凛々しく、華麗で而かも高尚な拵は、先ず申し分なき出来栄えと見受けた。付属品として、箪笥、長持、挟箱、鏡台、針箱、雪駄にポックリ、日傘等のお道具に加えて、静岡県茶業組合より銘銘のお人形に寄贈された、茶の湯道具煎茶道具一式をも添えられ、これでお嫁入り道具も全く揃ったので、これから実家たる各府県へ暇乞いに行き、帰京早々前文部省の顕官たりし某氏が宰領役となり、渡米する由なるが、この無言の使節が波の彼方の亜米利加で末永く鐘愛さるれば、国際情誼に偉大なる貢献を齎すものがあろう。

 

東京玩具商報 第二百八十九号   昭和二年十一月二十日

 

      亜米利加への答禮人形    成平生

 

この春米国の世界児童親善会の発起にて、ミス・アメリカを、はじめ、一万二千個の多数の「青い目のお人形さん」が、はるばる数千哩の遠き太平洋を越えて、日本の「雛の節句」のお仲間入りをしました。それは、亜米利加の子供達が純真な好意と深厚なる友情を表現する為に、愛らしいお人形を平和の使節として、寄せられたものであります。

 

 このお人形さん達は、長い舟路の旅装を解く間も急しく、東京を始め全国の幼稚園や小学校の「雛祭り」の盛大なる歓迎会に臨み、自国の子供たちの好意と友情を日本の子供達に伝えて、完全に其使用を果たされたのであります。

 

 さらば、わが国際児童親睦会に於きましたも、このアメリカの子供達の「清く美しい友情に」對し、いかでか、答禮の意を表さずに居られましょうや?同協会は、文部省と協議の上、日本からも亦人形を使者として彼の地に、送りその厚意を謝し且つ、日本の子供達の溢るる友情を伝え、ますます両国の親善を図る事になりました。

 

 全国の児童より誠意の籠った、醵金を募りそれに依って各府県道植民地及び六大都市より各一個別に代表一個合計五十八個のお人形さんを米国児童に寄贈する事になりました。

 

 そうして、一切を文部省の方々が擔當する事になりまして、本年七月その注文を東京百貨店協会(松坂屋、白木屋、松屋、三越、高島屋)に致されました。百貨店協会では各府県道植民地の分五十一個當東京雛人形卸商組合に、代表人形並びに六大都市の七個を京都に依頼されたのであります。人形は曲尺二尺七寸の立ち座り自由の真に超理想のものであります。

 

 當組合では、この前代未聞の意義深き国際的事業に對し、衷心その責任の甚大なるを自覚して、急遽、役員会を開催し木原善太郎、山田徳兵衛両氏の正副組長自ら陣頭に立つべく、横山正三氏、市原長太郎氏、成舞平兵衛等の五名を専任委員に挙げて之が完成に努め凡ゆる最善の奉仕を期待したものであります。光龍斎、郷陽、松乾斎、錦正、徳久、龍壽、秀徳、松月、東光斎、光幸、玉翠、松亭等十余名の東京の現代の名匠を網羅選出して、作製を委嘱したのであります。勿論製作側にしても自己の使命の偉大なるを痛感して殆ど三ヶ月に渉る工作に寝食を忘れて精進し、所謂「産みの苦しみ」の洗禮を受けて、名人の魂しい籠めた、黒い目をした立派な作品が九月上旬に出来上がりました。

 

 これより曩きにお人形の衣裳は百貨店協会の委任を受けて専ら高島屋呉服店に於いて擔任せられ、同店は独創的考案図を応用した、目もさめるばかりな紅紫とりどりの五つ紋別染友禅縮緬振袖模様に、下着長襦袢付き、西陣別織の唐織の帯を調えられました。さうして遠藤波津子女史の手に着付け万端を依頼したのであります。白羽二重の足袋、筥迫、扇面を身に付け写真の様な箪笥、長持、鏡台、針箱、お茶道具、裁縫道具、雪洞、傘、下駄、草履まで、人形に相応しい品々が取揃えられました。

 

 斯くして、代表人形に「倭日出子さん」東京府の「東京子さん」横濵「濵子さん」栃木県の「日光幸子さん」などめいめいの所名を授けられて九月中旬各府県の故郷に錦を飾って、お別れの廻禮に出向き、忙殺の日を送りました。何分渡米を目先に控へて、ゆっくりする隙もなく、十月下旬東京に一同集まりました。十月二十九日より十一月三日まで、各百貨店及び上野児童生活展覧会に陳列になって、一般の人々との、お別れも告げました。

 

 日本国際児童親睦会にては、十一月四日彼女らのために、今春アメリカ人形の歓迎会会場として、因縁深き明治神宮外苑日本青年会館に送別会を開催しました。定刻、畏れ多くも女子学習院ご在学中の久邇宮、朝香宮、北白川宮の各姫宮殿下御七方の御臺臨を仰ぎ学習院外市内各学校、幼稚園の代表者千余名参列し、府知事、市長、澁澤子爵、マクベー米国大使、英独仏大使館員、文部省員等二百余名の来賓臨席し、又当組合幹部一同並びに宣伝委員、製作者も招待されて末席に加わる光栄をえたのであります。中央壇上には紅白の幔幕をめぐらし日米の国旗を交叉し金屏風の前には「倭日出子さん」を中心にして左右に五人の人形が微笑みつつお道具、御土産品数限りなく、所狭きまで飾られてありました。

 

 栗屋文部次官司会者として挨拶があり、「君が代」並びに米国国歌を合唱の後日本側代表お茶ノ水高師付属の松本昌子さんの送別の辞がありますと、次いでアメリカン・スクールのベッテージ・ヨーゲション嬢が答辞を述べられました。このあと二人の可愛い日本代表の堅い握手が交わされました。その瞬間満場期せずして、やさしい拍手が一斉に起こりました。更に文学博士高野辰之先生作、音楽学校教授島崎赤太郎先生作曲の「人形を贈る歌」の合唱がありました。渋澤子爵、マクベー大使は交々起って、所感をのべられ和気彌々堂に満ちて、大盛裡に閉会しました。

 

「人形を送る歌」

 

 1 この日の国より星の国へ    けふを門出の人形よ

 

     すめるまなこをうるほさず    眉を開きてさらば行け

 

 2 歓び迎えて出す手に        その手を延べよ人形よ

 

     まことをこむる手と手には   笑みの花こそつねに咲け

 

 3 われ等がこころを心とし    さらばとく行け人形よ

 

     波の十日を過ごさなば     いたるところに花を見ん

 

 十一月十日!!この日はいよいよこれ等のお人形さん達の星の国への旅立ちの日であります。当日は天気晴朗にして波静か!!便船天洋丸は横濵港第四号岸壁に横付けられました。午後一時お守役の関屋前普通学務局長、佐々木文部省属の手に五十八人が船に運ばれました代表の「倭日出子」は陸上から見られる、Bデッキに花輪に、取り囲まれ乍ら立っております。全国代表格の横濵市女生徒弐千五百名は、定刻前より岸壁上屋に可愛い顔を並べて見送りに参りました。名残を惜しむ生徒から投げられた、五色のテープは恰も蜘蛛の巣のようであります。出帆のドラ鐘が鳴り響きますと、これら女生徒は答禮人形一行の船路の幸多かれと思を寄せられた、歌を唄い初めました。斯して午後三時天洋丸は横濵埠頭を離れたのであります。来る十一月二十五日彼地サンフランシスコに上陸、其処から汽車にて紐育に行き彼の地の児童親睦会の歓迎会に臨みます。其の後亜米利加各州にクリスマスまでに間に合うよう分配される筈であります。

 

 さうした、遠い彼の地に渡った、彼女らはアメリカ人形が自分の使命に忠実であったように、今春のお礼を述べ、日本の子供達が世界の平和を希ふことに於いて、アメリカの子供達に決して、劣らぬことや、頂いた「青い目のお人形さん」がますます健やかに成育されつつ真のアメリカのお嬢さんと思われて常に親み居ることをよく伝えて必ず使命を全ふするここと信じて疑わないのであります。と同時に海路平安渡米後も尚一層壮健な成長されんことを祈って居る次第であります。

 

終わりに臨んで斯く向上国際化した我が人形界の前途益々多幸なるを祝福し併せて今回の答禮人形に對し最善を尽くされた児童親睦会、文部省、百貨店協会の方々に敬意を表し、又当組合の委員並びに一般組合員、最も忠実なりし製作者緒賢の御尽力と御後援を感謝忘れられざる次第であります。    (十一月十二日稿)

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© KIYOKO M..2000:2005年8月12日 更新