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蒔絵 松田権六 珠玉の言葉

「人間国宝」松田権六(1896~1986)はこと漆芸に関する造詣は底知れないものがあった。「珠玉の言葉」を多く残されている。

 私は次の二つが特に心に残る。それぞれについて詳しく述べられているが、私がそれをこの場で要約すると言う事はおこがましくて出来ない。七歳から蒔絵の道に入り生涯を蒔絵に生きた松田権六の作品と共にその言葉も後世に残るものであろう。

2005.8 M 清子

 

「蒔絵 松田権六」 北条明直 柳橋真編  毎日新聞社  昭和48年より

 

批評について

 長所を発見しこれを助長せしめこの長所に活を入れて全体に生命力を与えるための具体的有効な案を提供するものでなければ批評とは言えない。

 

修業の方法

 品物から学ぶこの師匠は無言だが万言の言葉を尽くしたよりも、もっと明白に物をもって示してくれる。

 

 氏が品物から教わるものというその品物は、優れた作品 (氏は優れた作品を優品、その上を絶品あるいは逸品、さらにその上を名品、超名品を神品と名付ける) のことであるが、古美術の優品に接して、修業者として心掛けるべきことは、その品物の欠点をあげつらうのではなく、どの点が優れているか、その良い点を見出す習慣をつけることが大切だと説く。このことは氏の批評に対する考え方にも関連をもつので、「批評について」を併せ参照されたい。

 氏は、作品の欠点の指摘がどんなに的中しても、それは事業の決算報告みたいなもので、ものを創造して行く糧にはならないというのだ。 むしろ積極的に、この作品はここをこうすれば良くなるという予言を具体的にいい当てることこそ真の批評であり、修業者の勉強になるとする。このどこをどうすれば良くなるという、氏の言葉でいう予言なるものがいえるようになるのは、実はそう簡単なことではない。むしろそのことをじゅうぶん承知の上で、氏が修業者に要求するゆえんのものは、やはりものを作る人間が、自分自身の判断力を持つことの必要を強く感じているからだ。

 そこで氏は、いまこの作品を自分が作るとしたらという立場に立って、品物に接しろというのである。このことは偽らざる己れ自身の評価として、己れにかえってくるところのものでもある。

どんな材料を使って、どんな技術的処理をし、どんな工程と順序で仕上げをし、どこに作品としての特長をもち、どんな点に特に苦心を要し、いま時の仕事とどこがどんなふうに異なっているかを、自分が作る立場に立って考えてみることが必要だとする。この時決して作品に惚れたり、恐れたり、欲目でみたり、感心して楽しんだり、割引いて見るのではなく、徹頭徹尾真正面から対決する覚悟と勇気と努力があってこそ、はじめてそれが自分の実力を知ることになり、そこに自覚と反省が促され、時としては、自分の仕事の不健全さに気付く動機ともなるとする。

 かくて氏は「かくしてこそ優品を手にした甲斐があったというものです。身も心も啓発されるほどに到ってこそ無言の作品から雄弁きわまりない光明の教えを温かく授けられるものとなるのであります。かって師匠から教えをうけた時以上に有難いと感じ、無言の優品に心からの合掌を捧げ、涙の出る思いすらしばしばとなるものであります」と語るのだ。

 氏の弟子である田口善国氏は「先生の作品に接する時の時間のかけ方は、私たちの見るのと違って、本当にためつすがめつ容易にそこを去ろうとしないのです」という。

 「人間だれしも心掛け一つだ。最初は僅かな自己訓練から始まり、自力で発足させたものが、続けるうちに習慣となり、やがて驚くほどの大きな成果となって表われて来る」という言葉を、まさに氏は身をもって示しているのである。

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© M KIYOKO..2000:2006年7月19日 更新